末広厳太郎の名言紹介を続けます。
「 しからば『法律的に物事を考える』とは、一体どういうことであるか。これを精確(せいかく)に初学者に説明するのは難しいが、要するに、物事を処理するに当って、外観上の複雑な差別相(さべつそう)に眩惑(まどわ)されることなしに、一定の規準を立てて規則的に事を考えることである。法学的素養(ほうがくてきそよう)のない人は、とかく情実(じょうじつ)にとらわれて、その場その場を丸く納めてゆきさえすればいいというような態度に陥りやすい。ところが、長期間にわたって多数の人を相手にして事を行ってゆくためには、到底(とうてい)そういうことではうまくゆかない。どうしても一定の規準を立てて、大体同じような事には同じような取扱いを与えて、諸事(しょじ)を公平に、規則的に処理しなければならない。たまたま問題になっている事柄を処理するための規準となるべき規則があれば、それに従って解決してゆく。特に規則がなければ、先例を調べる。そうして前後矛盾のないような解決を与えねばならない。また、もし規則にも該当せず、適当な先例も見当らないような場合には、将来再びこれと同じような事柄が出てきたならばどうするかを考え、その場合の処理にも困らないような規準を心の中に考えて現在の事柄を処理してゆく。かくすることによって初めて、多数の事柄が矛盾なく規則的に処理され、関係多数の人々にも公平に取り扱われたという安心を与えることができるのであって、法学的素養の価値は、要するにこうした物事の取扱い方ができることにある。」
この辺りからいよいよ、この名言の核心部分に入って来ました。
それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)