名言紹介の第38回目は大正・昭和期の法学者:末広厳太郎の言葉です。
かなり長いので多数回に分けてご紹介していきたいと思いますが、要点を先述しておくと「我が国の諸大学で行われている法学教育の内容は主として解釈法律学(実定法の意味・内容を解釈し、体系的に研究する学問)であるが、法学教育の目的は法令や裁判例などの知識を与えることだけでなく、『法律的に物事を考える力』を養成することにもある。この『法律的に物事を考える力』とは、物事を処理するにあたって、外観上の複雑な相違点に惑わされずに、一定の規準を立てて規則的に物事を考える力である。」というように表せると思います。
「私はかつて『法学入門』と題する本のなかで、法学入門者に対する法学研究上の注意について多少のことを書いた。同書は元来(がんらい)、『現代法学全集』の読者を相手として書かれたもので、いわば法学研究者一般、殊(こと)に独学者を仮想の相手として書かれたものである。ここではこれと違って、この四月新たに諸大学の法学部に入学された諸君を特に相手として、勉学上注意されたらいいと思うことを一、二述べてみたいと思う。その種の注意は、諸大学の教授諸氏によってそれぞれ適当に与えらるべきものなること、もとより言うを俟(ま)たないし、また実際にもいろいろ好(よ)い注意が与えられていることと想像するが、私が今まで多数の法学生ないし法学士と会談した経験から推(お)すと、案外その種の注意が学生には徹底していないのではないか、学生の多数は彼らの研究する学問の特質を知らず、従ってまた、いかなる態度方法で聴講し、また研究すればいいのかというようなことについて適切な指導を与えられていないのではないか、という疑いを抱かざるを得ないのを甚(はなは)だ遺憾(いかん)とするのである。」
上記言葉はいかにも「多くの人が気付いていない大切な話を、これからしますよ!」と強く惹きつけてくるような、上手いツカミだなあと感じます笑 因みに最後まで読んで頂くと、法学だけでなく他の学問分野などを学ぶ際にも参考になる視点が得られるのではないかと思います。
それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)