森鴎外の名言紹介を続けます。
「次に私は正直と云ふ(いう)ことに就(つい)て少し言ひ(い)たい。先刻(せんこく)讀(よ)んで見ると、津和野人(つわのじん)は正直だと云ふことが云つて(いって)あります。なる程譃(うそ)を言ふ(う)人、惡(わる)い事をする人は少(すくな)い。小さいながら正直は正直である。私は此(こ)の正直と云ふ事は誠に難(かた)い事であると思ふ。かう(こう)して此處(ここ)にすわつて自分の考を飾らずに出せば正直である、けれどもこんな高い處(ところ)にすわつて見ると、誰でも虚飾(きょしょく)が出て來る。自分を馬鹿だと思は(わ)れるのは感心しないから、なるべくえらい人だと思はれるやう(よう)にしようと思ふ。それだからなか/\(なかなか)正直ではない。かう云ふ時に本當(ほんとう)に自分の思つた事が言はれゝ(いわれれ)ば實(じつ)にえらい人間です。皆此處へ出ると飾るのである。其上(そのうえ)人が側で書いてゐ(い)ると云ふのはつらい話である。況(いわ)んや新聞記者がを(お)られる。惡くすると明日の新聞にかう云ふ事を饒舌つた(しゃべった)と云ふことが出る。さう(そう)思ふと愈よ(いよいよ)虚飾が出たがる。えらい事を言はう(いおう)と思ふ。其位(それくらい)ならば寧(むし)ろ饒舌らない方が好(よ)い。饒舌るなら拵へ(こしらえ)ずに饒舌りたい。私だつて順序を立てゝ(たてて)議論をしようとすれば出來る。併(しか)しそれには多少の準備もいる。私はそんな準備などはしてゐない。そこでこんな事を饒舌る。」
ことさらに自分を大きく見せようとせず、等身大の自分を正直に見せられる人間こそ、実は器が大きい人間なのかもしれませんね。
それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)