澤村こうじ法律事務所

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コラム2023年1228

名言紹介(33)「森鴎外 その8」

 森鴎外の名言紹介を続けます。

「私は福羽(ふくば)先生には餘(あま)り近づかなかつたけれども、西先生には大ぶ親(したし)んだ。東京へ出ると西先生の玄關(げんかん)に机を構へ(え)て學校に通つ(っ)たものですから、好(よ)く知つてゐ(い)ます。あの先生は氣の利いた人ではない。頗(すこぶ)るぼんやりした人でありました。そのぼんやりした椋鳥(むくどり)のやう(よう)な所にあの人の偉大な所があつた。私は西先生の家に住まつて毎日御飯を喰べて學校へ通ふ(う)。別に先生から教訓を受けない。何かえらい事を説いて聽(き)かせるかと思ふと一向に聽かせない。そのうち或(あ)る日私がインキを疊(たたみ)の上に飜(こぼ)した。さう(そう)したらふいとそれを見て、西先生が、「何だ、インキを飜したな、西洋人ならば汚した疊をすぐ償は(つぐなわ)せるぞ」と云つ(いっ)て叱つ(しかっ)た。今まで私は家にをつ(おっ)て色々の道徳の話を聽いたり、學校でも聽いてをつた。そこでどうも先生の教育は餘程(よほど)妙だと思つた。若(も)し理窟(りくつ)で解釋(かいしゃく)すれば、私が經濟(けいざい)思想の無い人間だから、經濟思想でも注入しようと思つて言つたのであるとでも云へば趣意が立つ。確にあの人は大なる經濟思想を持つてをつた。併(しか)し先生はインキを飜したのが氣に入らないから只(ただ)叱つたのです。若し西先生が何か道徳の極まつ(きまっ)た箪笥(たんす)を持つてをつて(もっておって)、物事を片附けてゐる人であつたならば、さう(そう)淡白にインキの小言も言はなかつたかと思ひます。先生は吝嗇(りんしょく)なやうな事を言つた。それを後に考へて、私は面白いと思つてをります。」

 上記で言う「吝嗇(りんしょく)」というのは「ケチ」という意味です。畳にインクをこぼした森鴎外に対して、西周(にしあまね)は教訓めいた道徳論などを大げさに語るのではなく、「西洋人ならば、弁償させるぞ。」などとケチくさい小言をストレートに言ったというエピソードです笑 そのような飾り気のない率直な態度を捉えて、むしろ西周こそ器が大きい人物なのではないかと森鴎外は考えているわけですね。
 それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介しましょう。

(文責:弁護士 澤村康治)
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