森鴎外の名言紹介を続けます。
「諸君は混沌(こんとん)と云ふ(いう)事をどう見ます。めちや/\(めちゃめちゃ)になると云ふ事ではない。又(また)混沌が何時(いつ)までも混沌に安んじてゐ(い)られるものでも無い。部屋の中でも其處等(そこら)がごた/\(ごたごた)散らかつ(っ)てゐれば誰でも整理しなければならぬ。整理は厭(いや)でもします。整理はするけれども混沌たるものは永く存在する。綺麗さつぱりと整理せられる筈(はず)のものでない。思想とか主義とか何とか云ふものが固まるのは物事を一方に整理したのである。第一の整理法の外(ほか)に第二の整理法がある。一の法ばかりを好(よ)いと思つてゐるのは間違つてゐる。さて津和野(つわの)の人は小才(こさい)だと云ひますが、小才でない人もある。私は成功した人がえらいとは思は(わ)ない。成功せんで隱(かく)れてゐる人にもえらい人があると思ひ(い)ます。併(しか)し先づ(まず)成功した人を標準として、跡から追ひ駈けて(おいかけて)行くのが歴史のならひ(ならい)であるから、成功した人を標準として話して見ませう(しょう)。福羽(ふくば)先生とか西先生とか云ふ人はえらかつた。あれは決して小才ではない。然(しか)るに皆(みな)津和野の人として氣(き)の利いた人では無い。」
上記の「福羽先生」というのは江戸時代から明治時代にかけて活躍した国学者・歌人・政治家:福羽美静(ふくばびせい)のことであり、「西先生」というのは同じく江戸時代から明治時代にかけて活躍した啓蒙思想家・哲学者・教育者・政治家:西周(にしあまね)のことです。2人とも肩書がすごく多くて笑、江戸・明治人のバイタリティーを感じます。
それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)