澤村こうじ法律事務所

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コラム2021年0806

名言紹介(6)「福沢諭吉 その3」

 福沢諭吉の名言の結論部分です。

「人生本来戯(たわむれ)と知りながら、此一場(このいちじょう)の戯を戯とせずして恰(あたか)も真面目に努め、貧苦(ひんく)を去(さり)て富楽(ふらく)に志し、同類の邪魔せずして自(みず)から安楽を求め、五十七十の寿命も永きものと思うて、父母に仕え夫婦相親(あいした)しみ子孫の計(はかりごと)をなし、また戸外(こがい)の公益を謀(はか)り、生涯一点の過失(かしつ)なからんことに心掛(こころがく)るこそ蛆蟲(うじむし)の本分なれ。否(い)な、蛆蟲の事に非(あら)ず。万物(ばんぶつ)の霊として人間の独(ひと)り誇る所のものなり。ただ戯と知りつつ戯(たわむ)るれば、心安(こころやす)くして戯の極端に走ることなきのみか、時にあるいは俗界百戯(ぞくかいひゃくぎ)の中に雑居(ざっきょ)して独り戯れざるもまた可なり。人間の安心法は、およそ此辺(このへん)にありて大なる過(あやまち)なかるべし。」

 意訳すると「人生は本来戯れであると知りながら、この一瞬の戯れを戯れのまま生きずにあたかも真面目に努力し、貧苦を脱して富楽を目指し、他者の邪魔をせずに自力で幸福を追求し、50年から70年ほどの寿命も長いものと思って、父母に孝行し夫婦仲良くして子孫を育み、また社会の公益に貢献し、生涯に一点の過失もないように心がけることこそウジムシの本分である。いや、ウジムシのことではない。万物の霊長として人間だけに可能なことである。ただの戯れと知りつつ戯れれば、心に余裕ができて戯れの極端に走ることがないばかりか、時には俗世界でみんなが戯れている中に生きていながらも自分1人だけ戯れないことすら可能である。人間が幸福に生きる方法は、大体この辺にあると考えて大きな間違いはないであろう。」といった所でしょうか(注:「戯」は「遊び」と訳しても「ゲーム」と訳しても何となくニュアンスが違う気がするので、そのまま「戯れ」と訳しました。)。

 以上3回にわたって福沢諭吉の名言をご紹介してきました。
 「人生は非常に儚い」という前提からスタートして「だからこそ、かけがえのない今この人生を大切に充実させながら生きよう」という結論を導き出している点で、名言紹介(2)でご紹介したマルクス・アウレリウス・アントニヌスの名言にも通底するものが感じられ、西洋でも東洋でも古代でも近代でも(勿論、現代でも)人間の根源的なテーマ(「人間はいつか死ぬのに何のために生きるのか?どのように生きるべきか?」という「人生の意味・意義、存在理由・存在意義、レーゾンデートル」などと呼ばれるテーマ)というのはあまり変わらないんだなあと実感させられます。

(文責:弁護士 澤村康治)
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