夏目漱石の名言紹介を続けます。
「犬に吠(ほ)え付かれて、果(は)てな己(おのれ)は泥棒かしらん、と結論するものは余程(よほど)の馬鹿者か、非常な狼狽者(あわてもの)と勘定(かんじょう)するを得(う)べし。去(さ)れども世間には賢者(けんじゃ)を以(もっ)て自(みずか)ら居(お)り、智者(ちしゃ)を以て人より目(もく)せらるるもの、亦(また)此(この)病(やまい)にかかることあり。大丈夫(だいじょうふ)と威張(いば)るものの最後の場に臆したる、卑怯(ひきょう)の名を博(はく)したるものが、急に猛烈の勢を示せる、皆(みな)是(こ)れ自ら解釈せんと欲して能(あた)はざるの現象なり。況(いわん)や他人をや。二点を求め得て之を通過する直線の方向を知るとは幾何学(きかがく)上(じょう)の事、吾人(ごじん)の行為は二点を知り三点を知り、重ねて百点に至るとも、人生の方向を定むるに足らず。」
意訳すると「犬に吠えられて『あれ?自分は泥棒なのかな?』という結論を下す者については、よほどの馬鹿者か、非常なあわて者だと判別することができるであろう。けれども現実の世界では『自分は賢い人間だ』と思い、他人からも『智恵のある人間だ』と見られている者であっても、この病気にかかることがある。日頃は『自分は豪胆な人間だ』といばっている者が肝心な場面で怖じ気づいてしまったり、日頃は『卑怯な人間だ』と他人から言われている者が、急に猛烈な勇敢さを見せたりすることがあるが、これらは全て『自分自身のことを理解したいと思っても、理解しきることはできない』という現象である。ましてや他人のことを理解しきることなど、できるはずがない。2個の点を定めれば、これを通過する直線の方向が分かるというのは幾何学(注:図形や空間の性質について研究する数学の分野)の分野のことであるが、我々の行為については2個の点を定め3個の点を定め、100個の点まで定めたとしても、人生の方向は分からない。」といった所でしょうか。
「直線」の定義の仕方はいろいろあるようですが、上記では「異なる2点を通り、同一方向に無限に伸びる線」という定義が近いと思います。
それでは今回はここまでとし、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)