夏目漱石の名言紹介を続けます。
「源氏(げんじ)征討(せいとう)の宣旨(せんじ)を蒙(こうむ)りて、遙々(はるばる)富士川(ふじかわ)迄(まで)押し寄せたる七万余騎(ななまんよき)の大軍が、水鳥(みずとり)の羽音(はおと)に一矢(いっし)も射らで逃げ帰るとは、平家物語(へいけものがたり)を読むものの馬鹿々々(ばかばか)しと思ふ処(ところ)ならん。啻(ただ)に後代(こうだい)の吾々(われわれ)が馬鹿々々しと思ふのみにあらず、当人たる平家(へいけ)の侍共(さむらいども)も翌日は定めて口惜しと思ひつらん。去(さ)れども彼等(かれら)は富士川に宿(しゅく)したる晩に限りて、急に揃(そろ)ひも揃ふて臆病風(おくびょうかぜ)にかかりたるなり、此(この)臆病風は二十三日の半夜(はんや)忽然(こつぜん)吹き来(きた)りて、七万余騎の陣中(じんちゅう)を駆(か)け巡(めぐ)り、翌(あ)くる二十四日の暁天(ぎょうてん)に至りて寂(せき)として息(や)みぬ。誰(たれ)か此(この)風の行衛(ゆくえ)を知る者ぞ。」
意訳すると「源氏征伐の命令を受けて、はるばる富士川(注:現在の静岡県のあたりに所在。)まで押し寄せた7万以上の平家の大軍が、水鳥が一斉に飛び立つ羽の音に驚いて、1本の矢を射ることもなく逃げ帰ってしまう場面は、平家物語を読む者が馬鹿馬鹿しいと思うところであろう。ただ単に後代に生きる我々が馬鹿馬鹿しいと思うだけではなく、当人である平家の侍達も翌日にはさぞかし悔しいと思ったことであろう。けれども彼らは富士川に野営した夜に限って、急にそろいもそろって臆病風に吹かれたものであり、この臆病風は西暦1180年10月23日の真夜中に突然吹いてきて、7万以上の大軍の陣中を駆け巡り、翌24日の明け方になって静かに収まった。この臆病風の行方を知る者は誰もいない。」といった所でしょうか。
上記は平家物語の中に出てくる、富士川の戦いのエピソードです。すなわち、源氏征伐のために京都方面から富士川まで行軍し野営していた平家軍が、真夜中に水鳥が一斉に飛び立つ羽の音を聞いて源氏軍が夜襲してきたものと思い込み、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったというものです(もっとも、真相については諸説あるようです。)。平家軍の臆病さ・軟弱さを嘲笑するような描き方がされていますが「異常事態に直面したときには、誰しも当時の平家軍と同じような行動をしてしまう可能性がある」ということを漱石は伝えているわけですね。
それでは今回はここまでとし、次回はこの続きからご紹介しましょう。
(文責:弁護士 澤村康治)