夏目漱石の名言紹介を続けます。
「青門老圃(せいもんろうほ)独(ひと)り一室の中に坐(ざ)し、瞑思遐想(めいしかそう)す、両頬(りょうほお)赤(せき)を発し火の如(ごと)く、喉間(こうかん)喀々(かくかく)声あるに至る。稿(こう)を属(しょく)し日を積まざれば出(い)でず。思(おもい)を構(かま)ふるの時に方(あた)つて大苦(だいく)あるものの如し、既に来(きた)れば即(すなわ)ち大喜(だいき)、衣(ころも)を牽(ひ)き、床を遶(めぐ)りて狂呼(きょうこ)す。『バーンス』詩を作りて河上(かじょう)に徘徊(はいかい)す。或(ある)いは呻吟(しんぎん)し、或いは低唱(ていしょう)す、忽(たちま)ちにして大声放歌(たいせいほうか)欷歔(ききょ)涙下(くだ)る。西人(せいじん)此種(このしゅ)の所作(しょさ)をなづけて、『インスピレーション』といふ、『インスピレーション』とは人意(じんい)か将(は)た天意(てんい)か。」
意訳すると「山奥に住んでいる老作家が1人で部屋の中に座り、原稿作成に向けてアイディアを練っているときには、両頬は火のように真っ赤に上気し、のどの奥から絞り出すような声が漏れてくる。原稿作成に取りかかっても、何日も経たなければアイディアは出てこない。心の中であれこれとアイディアを考えているときには非常に苦しそうであるが、いざアイディアが思い浮かんだときには非常に喜び、衣服を引っ張って、床を転げ回りながら狂ったように叫ぶのである。『バーンス』(注:スコットランドの詩人:ロバート・バーンズ。名言紹介(13)参照。)は詩を作るとき、川のほとりをあてもなく歩き回ったという。あるときは苦しみながらうめき声をあげ、またあるときは小声でブツブツと詩を唱えたというが、アイディアが思い浮かんだときにはたちまち大声で詩を詠み、むせび泣いたという。西洋人はこの種の行動を名付けて『インスピレーション』(注:ここではひらめき・素晴らしい思いつきの意。)と呼ぶが、『インスピレーション』とは人間の意思によるのか?それとも天の意思(注:前回同様、ここでは自然現象に近い。)によるのか?」といった所でしょうか。
インスピレーション(inspiration)はインスパイア(inspire)の名詞形であり「刺激、鼓舞、霊感、示唆」などいろいろな意味がありますが、ここでは上記のとおり「創作活動の苦しみの末に突然どこからともなく創作者の脳内にやって来た、ひらめき・素晴らしい思いつき」というニュアンスが近いと思います。
それでは今回はここまでとし、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)