夏目漱石の名言紹介を続けます。
「三陸(さんりく)の海嘯(つなみ)濃尾(のうび)の地震之(これ)を称して天災といふ、天災とは人意(じんい)の如何(いかん)ともすべからざるもの。人間の行為は良心の制裁を受け、意思の主宰(しゅさい)に従ふ、一挙一動(いっきょいちどう)皆(みな)責任あり、固(もと)より洪水(こうずい)飢饉(ききん)と日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不断(ふだん)の主権者にあらず、四肢(しし)必ずしも吾(わが)意思の欲する所に従はず、一朝(いっちょう)の変(へん)俄然(がぜん)として己霊(これい)の光輝(こうき)を失(しっ)して、奈落(ならく)に陥落(かんらく)し、闇中(あんちゅう)に跳躍(ちょうやく)する事なきにあらず。」
意訳すると「三陸地方の津波や濃尾地方の地震などを天災と呼び、天災とは人間の意思ではどうすることもできないものである。人間の行為は良心の制約を受け、意思の命令に従い、行為の全てについて自分が責任を負うものであるから、勿論洪水や飢饉などと同一に論ずるべきではないが、良心は常に必ず作用するわけではないし、人間の両手両足は必ずしも自分の意思のとおりに動くわけでもなく、ひとたび異常事態に直面すれば、あっという間に理性を失い、どん底に落ち、暗闇の中を跳ね回ることも多いのである。」といった所でしょうか。
この辺りから人間の意思や理性や知性などの限界に関する漱石の考え方が、いくつかの例を交えながら敷衍されていきます。
それでは今回はここまでとし、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)