澤村こうじ法律事務所

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コラム2021年1101

名言紹介(9)「勝海舟(かつかいしゅう)」

 名言紹介の第9回目は江戸時代末期の幕臣で明治時代まで活躍した:勝海舟の言葉です。
「古(いにしえ)より当路者(とうろしゃ)古今一世(ここんいっせい)の人物にあらざれば、衆賢(しゅうけん)の批評に当る者あらず。計らずも拙老(せつろう)先年の行為において御議論数百言御指摘(ごぎろんすうひゃくげんごしてき)、実に慙愧(ざんき)に堪(たえ)ず、御深志(ごしんし)忝(かたじけなく)存候(ぞんじそうろう)。
 行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存候(ぞんじそうろう)。各人へ御示(おしめし)御座候(ござそうろう)とも、毛頭(もうとう)異存(いぞん)これ無く候(そうろう)。」

 意訳すると「昔から、重要な地位に就いている者に大した人物はいなかったので、賢い人々による批評に値する者はいませんでした。思いがけないことに私ごときが、私の過去の行為に対して多くのご議論やご指摘を頂いていることは、実に気恥ずかしいような心持ちであり、お心遣いに恐縮しております。
 進むか退くかを決めたのは、当時の危機的状況に最前線で対処しなければならなかった、この私自身です。それをけなしたり褒めたりするのは外野にいる無責任な他人が好き勝手に言うだけのことであって、私には関係ないことと存じます。世間の皆さんへお示しになられましても、全く異存はありません。」といった所でしょうか。

 幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際、勝は江戸幕府最後の将軍:徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の命を受け、江戸総攻撃を目前に控えた倒幕軍の代表者:西郷隆盛(さいごうたかもり)と会談した結果、徳川(正規)軍は倒幕軍と一戦も交えることなく全面降伏して江戸を明け渡しました(江戸城無血開城)。
 明治時代になってから、勝に対しては「江戸(当時でも既に、人口100万人を超える世界有数の大都市だったそうです。)を戦火から救った功労者」と評価する者がいた一方、福沢諭吉のように「勝が一戦も交えることなく全面降伏したせいで、長い歴史を経て受け継がれてきた武士の精神が崩壊した」と批判する者もいました。
 上記名言は福沢が勝を批判する文章を世間に公表しようとするにあたり、勝に対して意見を聞く手紙を送った際の(そんな手紙をわざわざ勝に送りつける福沢も、律儀で面白いのですが笑)、勝から福沢に対する返事の手紙です。
 「自分の置かれた状況下で、自分なりに考えて自分なりに行動することの覚悟と責任」を感じさせてくれる名言だと思います。

(文責:弁護士 澤村康治)
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