名言紹介の第25回目は明治時代~昭和まで活躍した作家:岡本綺堂の言葉です。
「 友人と日比谷公園(ひびやこうえん)を散歩する。今日は風もなくて暖(あたたか)い。芝原(しばはら)に二匹の犬が巫山戯(ふざけ)ている。一匹は純白で、一匹は黒斑(くろぶち)で、どこから啣(くわ)えて来たか知らず、一足の草履(ぞうり)を奪合(うばいあ)って、追いつ追われつ、起きつ転(まろ)びつ、さも面白そうに狂っている。
『見給(みたま)え、実に面白そうだね』と友人がいう。『むむ、いかにも無心に遊んでるのが可愛い。』といいながらふと見ると、白には頸環(くびわ)が附いている。黒斑の頸(くび)には何もない。『片方(かたっぽ)は野犬だぜ』というと、友人は無言にうなずいて、互いに顔を見合(みあわ)せた。
今、無心に睦(むつま)じく遊んでいる犬は、恐らく何にも知らぬであろうが、見よ、一方には頸環がある。その安全は保障されている。しかも他の一方は野犬である。何時(なんどき)虐殺(ぎゃくさつ)の悲運に逢わないとも限らない。あるいは一時間乃至(ないし)半時間の後(のち)には、残酷な犬殺(いぬごろ)しの獲物となってその皮を剥(は)がれてしまうかも知れない。日(ひ)暖(あたたか)き公園の真中(まんなか)で、愉快に遊び廻(まわ)っている二匹の犬にも、これほどの幸不幸(こうふこう)がある。
犬は頸環に因(よっ)て、その幸と不幸とが直ちに知られる。人間にも恐らく眼に見えない運命の頸環が附いているのであろうが、人も知らず、我も知らず、いわゆる『一寸先(いっすんさき)は闇(やみ)』の世を、いずれも面白そうに飛び廻っているのである。我々も暢気(のんき)に遊び歩いていても、二人の中(うち)の何方(どっち)かは運命の頸環に見放された野犬であるかも知れない。
『おい、君。そこらで酒でも飲もう』と、友人はいった。」
上記言葉は運命とか運とか遺伝子とか環境などの身も蓋もないほどの強大さ・熾烈さを示したうえで、それでもなお意思とか熱中とか努力とか主体性などの可能性を信じ、その尊さ・大切さを伝えている前向きさ・快活さが感じられる名言だなあと思います(なぜか妙に「●●さ・●●さ」というフレーズがやたらに多くなりました笑)。
(文責:弁護士 澤村康治)