澤村こうじ法律事務所

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コラム2024年0829

名言紹介(41)「末広厳太郎 その4」

 末広厳太郎の名言紹介を続けます。

「 このゆえに、新たに法学部に入学して法学教育を受けようとする新入学生としては、その所謂(いわゆる)解釈法律学(かいしゃくほうりつがく)がいかなる学問であり、これに関する講義が何を目的として行われているかを知ることが何よりも大切であって、私は、この点に関する無智もしくは誤解が、適正なる学習の妨げになっていることを多数の事例について発見するのである。
 現在我が国の諸大学で行われている解釈法律学の講義は、大体法典法条(ほうてんほうじょう)の理論的解説を与えるのを主たる内容としているから、これを聴く学生が、法学というものは法典の意味を説明するものだというふうに軽く考えやすいのは極めて自然であるが、その結果学生の多数は、中学以来彼らの称して暗記物(あんきもの)と言っている学科を学ぶのと同じような気持で聴講その他、学習を行うようになるのである。無論(むろん)、解釈法律学の一方面は法典法条の理論的解説にあるから、学生としても、法典法条の意味を正しく理解し、かつこれを記憶することは必要である。しかし、それだけが法学学習の全部であると考えるのは非常な誤りである。言うまでもなく、法学教育の目的は広い意味における法律家の養成にある。必ずしも裁判官や弁護士のような専門的法律家のみの養成を目的としてはいないが、広義の法律家、即(すなわ)ち「法律的に物事を考える力」のある人間を作ることを目的としているのである。ただ講義を聴いていると、いかにもただ法典の説明をしているように思われる、そうして先生は、ただ法典の意味をよく理解し、かつこれを記憶している人のように思われる。ところが、実際講義を通して学生の得るものは、法典の意味に関する知識の蓄積のみではなくして、法律的に物事を考える力の発達であって、一見専(もっぱ)ら法典の解説のみで終始しているように思われる講義でさえも、この考える力を養うことに役立っているのである。だから学生としては、常にそのことを念頭に置くことが必要であって、さもないと、法律の物識(ものし)りになることはできても、法律家になることはできない。」

 上記文章が書かれたのは昭和の初め頃ですが、そんな時代から学生の間では「暗記物」という言葉が使われていたんだなあと思うと、何やら愉快な気分になります笑
 それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介しましょう。

(文責:弁護士 澤村康治)
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