澤村こうじ法律事務所

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コラム2023年1031

名言紹介(31)「森鴎外 その6」

 森鴎外の名言紹介を続けます。

「一人々々(ひとりひとり)の上に就(つ)いて言ふ(いう)と、此際(このさい)小才(こさい)は用に立たぬ。之(これ)に反して椋鳥(むくどり)のやう(よう)な、ぽつと出(ぽっとで)のやうな考(かんがえ)を持つてゐて(もっていて)、どんな新思想が出ても驚かない。これは面白いと思つて、ぼんやり見てゐ(い)ると、自分の一身の中にも其(その)説(せつ)の言ふ所に應(おう)ずる物がある。彼の混沌(こんとん)たる物の中には、幾(いく)ら意表に出た、新しい事を聞いても、これに應ずる所の物がある。頭からそれに反抗するには及ばない。構はず(かまわず)自分の一身の中にある物に響(ひびき)の如く應ぜさせて見る。それには餘(あま)り窮屈な考を持つてをつては(もっておっては)いけない。今の時代では何事にも、Authority (オーソリティ)と云ふ(いう)やうなものがなくなつた。古い物を糊張(のりばり)にして維持しようと思つても駄目である。Authority を無理に辯護(べんご)してをつても(しておっても)駄目である。或(あ)る物は崩れて行く。色々の物が崩れて行く。それならば崩れて行つて世がめちや/\(めちゃめちゃ)になつてしまふか(なってしまうか)と云ふと、さう(そう)では無い。人は混沌たる中にあらゆる物を持つてゐる(もっている)のでありますから、世の中に新思想だとか新説だとか云ふものが出て來て活動して來ても、どんな新しい説でも人間の知識から出たものである限(かぎり)は、我々も其(その)萌芽(ほうが)を持つてゐない(もっていない)と云ふことは無いのです。どんな奇拔(きばつ)な議論が出て來ても多少自分の考の中に其萌芽を持つてゐる。唯(ただ)誰かゞ(だれかが)今まで蔭(かげ)になつてゐた事をあかるみへ出して盛んに發揮(はっき)するから不思議に見えるに過ぎない。それで私は今混沌と云ふことをお話するのです。」

 現在でも「●●学の権威」などという言葉が使われるように、上記で言うAuthority(オーソリティ)は「権威」というニュアンスが近いと思います。因みに、日本語のカタカナ語では「オーソリティ」と言いますが、米国英語では「アサリティ」「アサラティ」などという発音が近いと思います。
 それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介しましょう。

(文責:弁護士 澤村康治)
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