森鴎外の名言紹介を続けます。
「扨(さて)今日(こんにち)は世間の事が非常に變つて(かわって)行く時代である。先づ(まず)人の世を渡るに必要なる道徳などと云ふ(いう)ものも、それは學問の上では色々な學者の異論がありますが、兎に角(とにかく)かう云ふ(こういう)事は善い事、かう云ふ事は惡い事と云ふことを、つひ(つい)近頃まで極め過ぎてをつた(きめすぎておった)。併(しか)し今日(こんにち)極力(きょくりょく)此の(この)極まつた道徳を維持して行かう(いこう)と思つても、これが巡査の力や何かを借りて取り締つて(とりしまって)行けるものでは無い。大きな頭の奴が出て來て、例之ば(たとえば)哲學者の Nietzsche(ニーチェ) 或(あるい)は詩人の Ibsen(イプセン), さう云ふやう(そういうよう)な人が出て來て、全然今までの人の考(かんがえ)と變つた(かわった)考を發表(はっぴょう)する。其(その)考の影響が世界中に擴まつて(ひろまって)大きな波動が起つて來る(おこってくる)。さう云ふ時に今までの箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)に記號(きごう)を附けたやり方ではどうにもならない。途方に暮れてしまふ(しまう)。こんな時代には箪笥に物をしまふやうな流義は、物に極まりを附け過ぎてゐ(い)て駄目である。」
19世紀ドイツの哲学者:フリードリヒ・ニーチェは、従来の伝統的な価値観・人生観・世界観を根底から覆すような、超人思想・能動的ニヒリズム(「人間は生物の進化の過程で偶然生まれた存在に過ぎず、人生に客観的な意味・目的はない。だからといって絶望しながら自暴自棄になって生きるべきではなく、自分の人生の意味・目的は自分で自由に作り上げて(人生の主観的な意味・目的は、各人が自由に形成可能)、それに熱中・没頭しながら希望を持って前向きに生きるべきである。そのように生きる人間のことを超人と呼ぶ。」というような考え方です。)などといった斬新な価値観・人生観・世界観を提唱しました。当時の人々は、このような斬新な考え方にどれほどの衝撃を受けたことでしょう笑
それでは今回はここまでとして、次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文責:弁護士 澤村康治)