福沢諭吉の名言紹介を続けます。
「左(さ)れば宇宙無辺(うちゅうむへん)の考(こう)を以て独り自(おのず)から観ずれば、日月(じつげつ)も小なり、地球も微(び)なり。まして人間の如き無智無力(むちむりょく)、見る影もなき蛆蟲(うじむし)同様の小動物にして、石火電光(せっかでんこう)の瞬間、偶然この世に呼吸眠食(こきゅうみんしょく)し、喜怒哀楽の一夢中(いちむちゅう)、たちまち消えて痕(あと)なきのみ。しかるに彼(か)の凡俗(ぼんぞく)の俗世界に貴賤貧富(きせんひんぷ)・栄枯盛衰(えいこせいすい)などなどて、孜々経営(ししけいえい)して心身を労するその有様は庭に塚築(つかつ)く蟻(あり)の群衆が驟雨(しゅうう)の襲ひ来(きた)るを知らざるが如く、夏の青草(せいそう)に翻々(ほんぽん)たる螇蚸(ばった)が俄(にわか)に秋風(しゅうふう)の寒きに驚くが如く、可笑(おか)しくもまた浅ましき次第なれども、既に世界に生(うま)れ出(いで)たる上は蛆蟲ながらも相応の覚悟なきを得ず。すなわちその覚悟とは何ぞや。」
意訳すると「そこで無限の宇宙のスケールからごく自然に考えてみれば、太陽も月も極小であるし、地球も極小である。まして人間のような無智無力の存在は、見る影もないウジムシ(ハエの幼虫)同様の小動物であり、ほんの一瞬の間だけ偶然この世で生活をし、喜怒哀楽の感情も一夜の夢のようなものであって、たちまち消えて跡形もないだけの存在である。それなのにこの煩悩に満ちた俗世界の中で、身分の上下や財産の多寡、繁栄や衰亡などなどと騒いで、せっせと励んで心身を労するその有様は、庭に巣を作るアリの群衆が突然の雨がもうすぐ襲って来るのを知らないように、夏の草原でピョンピョン飛び跳ねるバッタがあるとき急に秋風の寒さに驚くように、おかしくもまた浅ましい次第であるが、既にこの世に生まれ出た以上はウジムシながらもそれなりの覚悟がなければならない。それではその覚悟とは何か?」といった所でしょうか。
ここから先がこの名言の結論にあたる最も核心的な部分なのですが、やはり長いので今回はここまでにしましょう笑
次回はこの続きからご紹介したいと思います。
(文書:弁護士 澤村康治)